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おすぎとピーコ 認知症のシビアな現実

おすぎとピーコ、進行するお互いの認知症のシビアな現実 別々の施設に入り「今生の別れ」
 
配信 2023年9月24日 07:15更新 2023年9月26日 18:28
NEWSポストセブン

 独特な口調で人気を博し、一躍人気者となった2人がテレビから消えて約1年半。その間、彼らはシビアな現実にぶつかり、あまりにも“残酷”な選択を強いられていた。「おすぎです」「ピーコです」息の合ったあの掛け合いを聞くことは、もう叶わない──。

 2階建てのその施設は、周囲を田畑や雑木林に囲まれた緑豊かな住宅街にあった。各フロアに風呂やトイレが設置され、廊下には誕生日会やクリスマス会の写真が飾られている。入居者が寝起きする個室の入り口には、手作りの名札やかわいらしいのれんがかけられ、介護用ベッドの上には色とりどりの寝具が並ぶ。

 
 そのなかに、空き部屋と見間違えるほどにシンプルな一室──ベッドのほかに置かれているのは、小さな洋服たんすとテレビだけ。部屋の入り口には、「すぎうら」と、ひらがなで書かれた名札がかけてあった。

 この部屋の住人は、おすぎ(78才/本名・杉浦孝昭)だ。髪の毛は白髪が増え、うっすらとヒゲをたくわえた顔は日焼けしている。背中や腰を丸めて移動する入居者が多いなか、ほっそりとやせ細ったものの、背筋を伸ばし、介添えなしで歩く姿が印象的だ。現在、おすぎはこの施設で穏やかに暮らしている。だがここに至るまでには、双子の兄・ピーコ(78才/本名・杉浦克昭)との慟哭のドラマがあった。

 1945年1月18日、ピーコは神奈川県横浜市に生まれた。その5分後に生まれた双子の弟がおすぎだった。高校卒業後、兄はファッション、弟は映画評論の道へと進んだ。2人は1975年にラジオ番組に一緒に出演し、個性的なキャラ全開のマシンガントークで大ブレーク。「おすぎとピーコ」として芸能活動を始め、一躍人気者となった。

 だが年齢を重ねるにつれて方向性の違いが生じ、おすぎは福岡に拠点を移した。東京と福岡に分かれて暮らす2人だったが、その人生が再び交差することになったのが、2021年だった。

「2021年の夏頃に、おすぎさんの体に異変が生じたんです。テレビの収録中に集中力が散漫になったり、物覚えが悪くなるなど、認知症の初期症状が見られるようになりました。ひとりでの生活が困難になり、横浜市内のマンションで、ピーコさんと一緒に暮らすことになったんです」


 そう明かすのは、兄弟の同居開始から現在に至るまでの一連の経緯を知るピーコの知人だ。2021年12月、兄弟の約50年ぶりの同居が始まった。

「老後のお金はもう貯金してある。ピーコはお金がないから、アタシが面倒をみないと」

 かねてそう語っていたおすぎの思いとは裏腹に、ピーコがおすぎの面倒をみることになった。事務所を畳んで万全の準備とともに始めたはずの「老老介護」だったが、現実は甘くはなかった。 

「いざ同居を始めてみると、これまでと違うおすぎさんの様子にピーコさんは大きなショックを受けました。おすぎさんの認知症の症状が、予想以上に進行していたようなんです。

 イライラからピーコさんが言葉を荒らげる回数が増え、出がけにおすぎさんに“早くしなさいよ! 何してるの!”と怒鳴ることが多くなりました。ピーコさんが“いますぐ出ていってちょうだい!”とおすぎさんを追い出し、行く当てもなく街を徘徊するおすぎさんが警察に保護されたこともありました。

 実はこの頃、ピーコさんにも認知症の症状が出始めていて、記憶力が落ちると同時に、感情の起伏が激しくなっていたんです。しかもピーコさんにはその自覚があったので、人一倍苦しんでいました」(前出・ピーコの知人、以下同)

 怒ってはいけないとわかっていながらどうしても感情を抑えることができず、この世でたったひとりの肉親を罵倒してしまう。大声を出したピーコはいつも自分を激しく責めて、やりきれない思いを抱えていた。もうこれ以上、おすぎと一緒にいてはいけないのではないか──苦しい毎日が続くなか、ピーコは決断した。


「おすぎさんとの生活を知人に相談していたピーコさんは、“このままでは2人ともダメになってしまう”と、おすぎさんを認知症患者の施設に入所させることを考えたそうです。

 もちろん離れたくはないけれど、これ以上一緒に過ごしたらおすぎさんをもっと深く傷つけてしまう。だからと言ってひとりにするわけにもいかない。しっかり面倒をみてくれる施設に入れることが最善という考えで、悩み抜いた末の苦渋の決断でした」

 ピーコは知人と一緒に、おすぎが安心して暮らせる施設を探した。そして昨年2月、おすぎは冒頭の施設に入居。50年ぶりの2人暮らしは、わずか3か月で終焉を迎えた。

 

◆「おすぎはもう死にました」

 おすぎが暮らすのは認知症の症状が出た人が共同生活を送る「グループホーム」で、「認知症対応型共同生活介護施設」とも呼ばれる。誰でも入居できる施設ではなく、65才以上、要支援2または要介護1以上の認定、認知症の診断、施設と同一の市区町村に住民票があるといった入居条件がある。

「おすぎさんが入所したのは、ごく一般的なグループホームです。横浜市内にあって費用は食費や光熱費込みで月12万円ほど。70~90代の20名弱が共同で生活しています」

 グループホームに入所する日、おすぎに付き添ったのはピーコだった。

 
「穏やかな表情のおすぎさんに対して、ピーコさんは明るく振る舞いつつも、どこか寂しげで目元は潤んでいるように見えたそうです。入所後、ピーコさんは何度もおすぎさんの面会に足を運んでは、その生活を心配していました。でもあるときを境に、パタリと行かなくなってしまったんです」


 おすぎがグループホームという“終の棲家”を得たことでピーコの心は落ち着くかと思われたが、そうはいかなかった。

「おすぎさんがいなくなって静まり返る自宅で過ごすうち、ピーコさんはたったひとりの弟を施設に入れてしまったという罪悪感に苛まれるようになりました。ピーコさんは、いつもおすぎさんを気にかける弟思いの兄でした。一方のおすぎさんも兄を慕っていて、“ピーコがいてくれてよかった。

 老後は2人で暮らしたい”と常々口にしていたんです。その言葉を聞いていたのに、同居中はストレスからイライラしっぱなしで、大切な弟を突き放すようなことをしてしまった。“やはり施設に入れるべきではなかったのか”“じゃあ、どうすればよかったのか”という答えの見えない問いにピーコさんは苦しんでいました」

 50年ぶりの同居を始める直前、ピーコは「おすぎの具合が悪くなっちゃって、嫌だけど私が面倒をみてやらないとダメなのよ」と周囲に言うものの、その口ぶりはどこかうれしそうだったという。

 だが、楽しみにしていた同居をすぐに解消しただけでなく、結果的に弟を施設に入れるという決断をする、予想外の事態となった。あまりの急展開に心の平静を保てなくなったのかもしれない。

「次第にピーコさんは、友人らに“おすぎは死んだ”“お骨になって帰ってきた”などと事実ではないことを言いふらすようになりました。弟を施設に入れたという罪悪感を打ち消すため、おすぎさんと死別したと思い込もうとしたのかもしれません。自宅マンションはおすぎさん名義だったので、“死亡届のような書類”を持って管理人に名義変更を願い出たこともあったそうです。


 時間が経過するとともにピーコさんの認知症も進行していき、おすぎさんが施設で暮らしていることを思い出せない日も増えました。弟の居場所があやふやになったことで、面会に行くことがなくなったようです」

 実際、おすぎが施設に入った2か月後の昨年4月、ピーコは本誌・女性セブン記者に、「おすぎ? おすぎはもう死にました」「ずっと認知症で入院していたのですが、2月に亡くなりました」と説明していた。

 

◆「弟とは違う施設で」

 認知症に蝕まれつつも、ピーコの心のどこかにおすぎの存在が残っていた。

「ひとり暮らしに戻ったピーコさんは、買い物に出かけるとよく瓶のウイスキーを買って帰るようになりました。もともとピーコさんは大のシャンパン好きで、ウイスキーを好む人ではないんです。ウイスキーはおすぎさんが大好きだったお酒で、一緒に晩酌をしようと手を伸ばしていたのかもしれません」

 一方で、生活は荒んでいった。自宅にはゴミがたまり、身の回りのことができなくなっていたピーコ。周囲がその生活を心配し始めた矢先、事件は起きた。今年の3月25日、買い物に訪れた店で万引き(窃盗罪)で逮捕されたのだ。

 
「本人は『代金はクレジットカードで払った』と説明していましたが、ピーコさんのカードは使用停止になっていました。ピーコさんは善悪の判断がつかない状態で、しばらく前から万引きを繰り返していた疑いがあり、お店の人が警察に通報したのです。後からわかった話では、逮捕された店だけでなく、自宅周辺の複数のお店が警察に相談していたそうです」(県警関係者)


 逮捕後、行政の担当者が代理人弁護士とピーコの処遇を話し合った。そこで決まったのが、「施設に入る」という方針だ。

「両親と2人の姉を先に亡くし、弟も施設に入っているピーコさんには身寄りがなく頼れる人もいません。施設入所の話を聞くなかで、ピーコさんは思い出したように“弟とは違うところで”というニュアンスの言葉を繰り返したそうです。

 おすぎさんに会いたい気持ちはあったでしょうが、相当な覚悟を持って彼を施設に入れたわけですから、再びの同居には抵抗があったのかもしれません。それに顔を合わせるうちに、またいがみ合う生活に戻っても困る。ピーコさんなりにおすぎさんのことを思い、悩んで出した結論だったのでしょう」(前出・ピーコの知人)